『田園の詩』NO.67 「後継者問題」 (1997.4.29) 私が筆職人としての修業を始めたのは四月からでした。ですから、四月になるといつも 指を折って今年で何年になるか数えるのが習慣となっています。両手の指を全部二回 折って、更に二つ折った年数に突入しました。 奈良筆の業界に私が飛び込んだ時、「十年ぶりに若い後継者が現れた」といわれた ものでした。その時点で、職人さんは全部で15人くらい、40代が2人ほどで、あとは 60代がほとんどでした。その後、数人の修業者の噂を耳にしましたが、奈良を離れて いる私には消息はつかめていません。 おそらくこのままでは、長い伝統を誇ってきた奈良筆の業界も、職人不足になるのは 遠い将来のことではないと思われます。 後継者不足は、全国のほとんどの伝統的工芸品産業会の問題になってきています。 しかし、それは、工芸品を長年生産してきた産地業界(組合)にとってのことであり、 一職人としては困った問題ではありません。 例えば、私に関していえば、後継者がいるかいないかは、仕事をする上で少しも問題 とはなりません。 次の代(息子たちに限らず現代の若者が)がどんな職業を選択しようがそれは自由。 筆職人の後を継いでくれる人を探したことなど一遍もありません。私一代で終わっても いいのです。 ![]() フノリ(布海苔)で筆の形を整え、窓辺に置き、天日で乾かしているところ。 (製筆工程 K糊固め←クリック) (09.2.27写) 同じようなことが、農業の分野でもいえるのです。「農業の跡継ぎがいない」という 声はよく聞かれます。しかし、今、僅かな面積で細々とお米を作っている大半の農家 の人たち(ほとんどがお年寄り)個々人は、後継者がいなくて困ってはいません。 それどころか、「苦労して僅かなお米を作ってもどうしようもない。子供たちはせん でもいい」と口をそろえていいます。 将来、筆職人の必要性があるかどうかは分かりませんが、お米を作る人(農家)が いなくなっては困ります。とかく無関心のようですが、実は農業問題は都会の消費者 に直結する大問題なのです。 数年前にちょっとその現象が現れました。喉元過ぎてもう忘れましたか…。 (住職・筆工) 【田園の詩NO.】 【トップページ】 |